ものをつくる、制作するということは言葉で考え、記述することではない。ひとはものをつくるときに、場合によっては道具を使う。しかし、道具を使うことで経験をどうにかすることができるものではない。経験はコントロールできるものではないから。
そして、ものをつくるときはどんなものができるか本人にもわからない。やってみなければわからない。科学するということはこの「やってみてわからないこと」に近い。
できたものを見てあれこれ考えたり、評価したり、利用したりするのは第三者だ。もしくは、自分であっても既に制作したときの自分ではない第三者だ。ここに行為のもつ不思議な力がある。
2005-11-30
2005-11-26
がまんする
がまんするということは夢をもっていることと同義だ。うまくいかない事態に遭遇したとき、こんなことでは終わらない、へこたれないという意味で自らを励ますときと、どうせどうのこうの言っても同じ結果だというあきらめのときがある。そして、がまんという言葉の語感には積極的な響きがある。思いを内に秘めて、次なるチャンスを待つという意思がある。集中力を高め、その場で対決せず、じっくりとときを待てる余裕がある。
2005-11-08
想い出
想い出はどれだけ古くても今という時をきざんでいる。
今、目の前に想い出が現前すると想い出は想い出でなく、現実の出来事としてたちまち姿を現す。年寄りが想い出ばかりを繰り返し話すのも、今、この時に目の前に想い出の楽しい一瞬が現前するのを夢見て話すのに違いない。夢の夢たる所以もそこにある。
今、目の前に想い出が現前すると想い出は想い出でなく、現実の出来事としてたちまち姿を現す。年寄りが想い出ばかりを繰り返し話すのも、今、この時に目の前に想い出の楽しい一瞬が現前するのを夢見て話すのに違いない。夢の夢たる所以もそこにある。
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